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  • 2.パリの貧しい画学生(絵:グリュシーの鵞鳥番の少女)

    ミレーが国立美術学校に入学した頃のパリは、凱旋門やシャンゼリゼ通りが出来たばかりで、通りは賑わい、馬車が行き交い、夜は遅くまでガス燈が輝いていました。
    名作「レ・ミゼラブル」の頃のパリです。市民がブルジョワジーとして台頭し、絵画が王侯貴族から彼らの手に移る中で、その対象も神話や聖書の世界から現代を生きる人々の生活に変わりつつある、そんな流れをミレーは先頭に立って切り開いていくことになります。

    当時のパリは道路も狭く、空気も汚れ、ノルマンディの自然に慣れたミレーはがっかりしたそうです。ミレーは毎日美術館に通い、巨匠の模写を繰り返しました。
    食べることも満足にできない貧乏のなか、ミレーは1840年、26歳のときにサロンに入賞して画家としての歩みを始めます。当時はサロンの権威が絶対的だったのです。

    ミレーは27歳のとき、ポリーヌという女性と結婚しますが、ポリーヌは貧乏な暮らしの中で病気になり23歳の若さで亡くなってしまいます。
    ポリーヌをうしなったミレーは1845年に故郷のグリュシー村に帰ります。おばあさんとお母さんは優しくミレーを迎えました。
    「フランソワ、誰のためでもない、神様のために描きなさい」
    こう言っておばあさんは励ましてくれました。
    故郷の明るい風景が次第に、ミレーの心を癒してくれました。

    写真は「グリュシーの鵞鳥番の少女」です。
    ミレー
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    おはなし名画「ミレーとコロー」の紹介記事

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