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2037-10-03(Sat)

マネとモネ



「印象派」のきっかけをつくったマネ。睡蓮を描き続けたモネ。
二人の生涯を童話風に辿りながら印象派の光の世界に導きます。
 
(マネ) 
「印象派の生みの親」と言われるマネは、自身では一度も印象派展に作品を出していません。
自分のスタイルを貫きつつも、当時の美術界の権威だったサロンに認めらたいという気持ちが強かったのでしょう。
ところが、古典の構図を借りながら現代社会の闇の部分を描いたマネの作品は当時の批評家たちからは認められません。「オリンピア」ではヴィーナスの代わりにパリの高級娼婦がベットに横たわっています。絵画は高貴であるべきだった時代に描かれたこの絵は人々の怒りを買いました。
マネ

近代都市パリの「今」を新しい手法で描くマネの周りに、進歩的な芸術家たちが集まるようになります。
モネ、ルノワール、ドガ、そして数少ない印象派の女性画家ベルト・モルゾもその一人でした。マネは目の美しいモリゾをモデルにして沢山の絵を描きました。
サロンに入賞した「バルコニー」にもモリゾの姿が描かれています。
マネ
モネらが後に第1回印象派展を呼ばれることになるグループ展の開催に向けて奔走しているとき、マネは親しいモネやドガの再三の参加依頼を断固拒否しています。ところがマネの弟子のような存在だったモリゾはマネの助言に耳を貸さずに参加を決めています。
この絵の意志の強さを窺わせる眼差しは本物だったのでしょう。マネの画家としての腕の確かさを感じます。

(モネ)
マネの絵に魅入られた青年がいました。「ぼくもいつかこんな絵を描きたい」
その青年の名前はモネ。二人の偉大な画家の出合いです。
外の明るい光の中で自分の目に写る風景を生き生きを描きたいと考えていたモネは同じ考えを持ったルノワール、シスレー、ピサロ、セザンヌ、ドガなどの仲間と1874年に展覧会を開きました。
そこにモネは「印象・日の出」という絵を出展しました。
印象・日の出

ル・アーブルの海の夜明けを書いた「印象・日の出」はフランス画壇から散々バカにされ、酷評されました。
そして、モネたち仲間は皮肉を込めて「印象派」と名付けられました。記念すべき印象派誕生の瞬間です。
いつの時代でも新しい試みは叩かれますが、本物であれば必ず認められる日が来るということでしょう。
印象派たちの展覧会はその後毎年のように開かれます。
第2回の印象派展に出した「日傘の女」には妻のカミーユと長男のジャンが描かれています。
モネ(日傘をさす女)
青空にちぎれて流れる白い雲。足元でそよぐ草の緑は溢れ出し、女性の白い服や雲に映えているようです。
アトリエを飛び出し、太陽の光に照らされた景色を描き続けたモネの、柔らかい光と影が織り成す世界です。

(アンパンマンの作者やなせたかしさんの推薦の言葉)
アンパンマンの作者で画家のやなせたかしさんが「おはなし名画シリーズ」の「マネとモネ」に推薦の言葉を寄せてくださっていますので、ご紹介します。

ぼくは絵の好きな子供だったから、ちいさいときから父の書斎の美術全集を見て育ちました。
しかし、それはみんな大人用のものでしたから解説の文章は理解できなかったのです。
もっと画家の人間性そのものが知りたい。
この絵を描いた人はどんな人だったかを知りたいのに、技術的な枝葉の解説が難解でした。
「おはなし名画シリーズ」は版も大きく絵も鮮明で、子供はもちろん、大人が読んでも充分に面白くて、絵を見る楽しさが3倍になると僕は思います。


マネの生涯
モネの生涯
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