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  • 1.天才少年の誕生(絵:モナ・リザ)

    今から500年以上も昔の1452年にイタリアのフィレンツェから西に40キロほど離れたヴィンチ村に一人の男の子が生まれました。レオナルド・ダ・ヴィンチの誕生です。
    この名前には「ヴィンチ村に生まれたレオナルド」という意味もあります。

    ヴィンチ村は山や川やぶどう畑に囲まれ、いつも小鳥のさえずりが聞こえるのどかで平和な町でした。
    レオナルドは村に流れる小川のそばで遊ぶのが大好きでした。レオナルドはいつもそれらの自然を観察して熱心にノートに書き留めていました。
    やがてレオナルドは絵や音楽や算数などに素晴らしい才能を見せ始めました。村の人たちはレオナルドのことを天才に違いない」と思っていたようです。

    絵については説明するまでもありませんね^^。1503~1505年に描かれた作品です。
    レオナルド・ダ・ヴィンチ
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    おはなし名画「レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ」の紹介記事

    レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ (おはなし名画シリーズ)レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ (おはなし名画シリーズ)
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    2.先生より絵が上手い弟子(絵:キリストの洗礼)

    レオナルドは14歳のときヴェロッキオのもとで美術の勉強をすることになりました。
    ヴェロッキオはフィレンツェで最も有名な彫刻家で大きな作業場で沢山の弟子と一緒に彫刻を作ったり絵を描いたりしていました。弟子の中にはボッティチェリもいました。

    6年の歳月が流れ、レオナルドが20歳になった頃のことです。
    ヴェロッキオは自分が途中まで描いた「キリストの洗礼」(1472~1475年)をレオナルドに完成させて欲しいと頼みました。
    レオナルドは絵の左側に青い服を着た天使を描き後ろの風景は自分の好きなように描き直しました。
    完成された絵を見たヴェロッキオはあまりの素晴らしさに驚いてしまいました。
    「なんて美しい天使だろう。なんて柔らかい風景だろう。レオナルドは私より遥かに優れている」
    ヴェロッキオはその後、絵を描くのを止めてしまったといいます。

    何だかピカソとピカソのお父さんの関係に似ていますね^^。
    この「キリストの洗礼」は中野京子氏の著書「怖い絵」で才能の違いが怖いほど現れている絵として紹介されている絵でもあります(記憶違いでなければ、、、)。
    レオナルド・ダ・ヴィンチ
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    3.ルネッサンスの中心人物として(絵:東方三博士の礼拝)

    26歳になったレオナルドはヴェロッキオのもとから独立して一人の画家として出発しました。
    レオナルドの絵にはそれまでの画家にはなかった新しい力が溢れていました。それはレオナルドが生きた時代に盛んだったルネッサンスの運動と深い関係がありました。

    1400年頃からイタリアを中心に起こったルネッサンスとはフランス語で「再生」という意味です。
    ルネッサンスの運動が始まるまでおよそ千年もの長い間、人々はこの世の中心には神様がいて人間は皆、神様のために生きていると考えていました。絵画や彫刻を中心とする芸術も神様に捧げるために作られていたのです。
    ずっと昔にギリシャやローマで栄えていた人間中心の芸術をお手本にして自分たち人間のために絵を描いたり、彫刻を作ったりしようと考えたのがルネッサンスの運動です。
    それはまさに長い間眠っていた人間が目を醒まし、この世界に「再び生まれる」ような出来事でした。
    レオナルドはこうしたルネッサンス運動の代表的な人物として活躍しました。

    絵は修道院から注文を受けて描いた「東方三博士の礼拝」(1481~1482年)です
    レオナルド・ダ・ヴィンチ
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    4.レオナルドのノート(絵:最後の晩餐)

    レオナルドの活躍は目覚ましいものでした。
    レオナルドは土木、建築、数学、解剖学などあらゆることについて研究を重ねました。何処へ行くにもノートを持って出かけ、自分の見たものや考えたことを書き留めていました。

    オナルドが残した何十冊ものノートには機械、ロボット、建物、楽器、木や草花、雲、水の流れ、人や動物の体などのスケッチが詳しく描かれています。
    パラシュートや飛行機のスケッチを何枚も描き、実際に空を飛ぶ実験をしたこともあります。

    「努力をすることに飽きたことは一度もない」
    レオナルドのノートに書かれた言葉です。
    天才レオナルドを支えていたのはこの世界のあらゆるものに対する興味と途切れることのない努力だったのです。

    写真は「最後の晩餐」(1495~1497年)。壮大な絵です。
    最後の晩餐
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    5.画家の心は鏡のようなもの(絵:自画像)

    62歳の頃から67歳で亡くなるまでの間、レオナルドが描き続けていたのは大洪水の絵でした。
    「画家の心は鏡のようなものであるべきだ。自然が作り出すあらゆる変化をそのままに描く力を画家は持たなくてはならない。ほかの画家のやり方を決して真似てはならない」

    レオナルドは自然が作り出す変化「大洪水」を何とか描こうと必死でした。
    けれども満足できる絵を完成することなく、1519年この世を去りました。
    「足りないのは時間だけだ」
    亡くなる直前のレオナルドの言葉です。

    病気で右手が動かなくなっても左手で絵を描き、最後まで弟子たちにも教え続けたといいます。
    写真は1512年頃に描かれた自画像です。深い英知に悲しみを携えた表情に見えます。
    レオナルド・ダ・ヴィンチ
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