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  • 1.彫刻家になりたい(絵:おさげ髪の少女)

    少年時代、テドと呼ばれていたアメデオ・モディリアーニは1884年、イタリアの港町リヴォルノに生まれました。
    小さい頃から身体が弱く、病気がちな男の子だったモディリアーニの心を慰めてくれたのは絵を描くことでした。
    「テドは大きくなったら芸術家になるかもしれない」
    お母さんはモディリアーニが11歳のとき、日記にそう書いています。
    モディリアーニが17歳になっとときのことです。肺の病気が治ったモディリアーニはお母さんと一緒にイタリア各地の美術館を見て回りました。
    そしてある美術館に飾られていた古い彫刻の前でモディリアーニの足は止まりました。
    「素晴らしい!いつか僕もこんな彫刻を作ってみたい」
    モディリアーニの心には彫刻家になりたいという希望が芽生えていました。

    写真の絵は「おさげ髪の少女」(1918年頃)、名古屋市美術館蔵の作品です。
    モディリアーニ
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    おはなし名画「ローランサンとモディリアーニ」の紹介記事

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    2.エコール・ド・パリ(絵:ポール・ギョームの肖像)

    モディリアーニはフィレンツェの美術学校で学んだ後、パリに出ると、若い芸術家の集まるモンマルトルにアトリエを借りて彫刻作りに励みました。ここでモディリアーニは「洗濯船」と呼ばれるアパートにアトリエを借りていたピカソと出会います。
    ピカソを通じてユトリロやアンリ・ルソーとも親しくなりました。
    やがてモンマルトルに高級マンションが立ち並ぶようになるとモンパルナスの「蜂の巣」と呼ばれるアパートに引っ越します。ここでモディリアーニはさらに多くの画家と出会います。ロシアから来たシャガール、ポーランドから来たキスリング、日本人の藤田嗣治などです。
    彼らは後にパリ派の画家(エコール・ド・パリ)と呼ばれるようになります。モンマルトルやモンパルナスはパリという大きな美術学校の教室のようなものだったのでしょう。

    写真は「ポール・ギョームの肖像」(1916年)です。
    ポール・ギョームはまだ殆ど売れなかったモディリアーニの絵を買ってくれた画商です。
    モディリアーニ
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    3.ジャンヌとの出会い(絵:ジャンヌ・エビュテルヌ)

    30歳を過ぎた頃からモディリアーニは画家として認められるようになっていました。モディリアーニ自身も彫刻家になることをあきらめ、絵に力を注ぐようになりました。
    モディリアーニは昔から人物の絵、特に親しい友達の肖像を描くのが好きでした。それらの絵にはモディリアーニがどれほどその人たちを愛しているか、そんな暖かい気持ちが込められています。
    後に結婚することになるジャンヌ・エビュテルヌと出会ったのは33歳の時です。栗色の髪と青白い肌をしていたことから「ノワ・ド・ココ(ヤシの実)」という愛称で呼ばれていたジャンヌはその時19歳、絵の勉強をしていた学生でした。
    モディリアーニはジャンヌをモデルに沢山の絵を描いています。写真は1918年に描いた「ジャンヌ・エビュテルヌ」です。
    モディリアーニはジャンヌとの間に生まれた女の子にも「ジャンヌ」という名前を付けて可愛がりました。
    モディリアーニ
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    4.懐かしいイタリア!(絵:大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュデルヌ)

    優しい妻と可愛い娘に囲まれ、画家としても次第に名を知られるようになっていたモディリアーニですが、35歳の頃には体中を様々な病気に侵されていました。
    1920年、モディリアーニは故郷から遠く離れたパリの病院で35年6カ月という短い人生の幕を閉じました。
    「懐かしいイタリア!」これが最期の言葉でした。
    ジャンヌはモディリアーニが亡くなった2日後、悲しみの余り、モディリアーニの後を追いました。
    二人は同じお墓に葬られ、今でも固く結ばれています。

    写真は「大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュデルヌ」(1917年)です。いかにもモディリアーニという感じがします。
    モディリアーニのドラマティックな人生は映画化もされています。いつか観たいと思っています。
    幼くして両親に先立たれた娘のジャンヌも後年には美術に携わる仕事に就いています。
    モディリアーニ
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