2013-04-08(Mon)

1.インドの始まり(絵:平山郁夫「月光流砂行」)

今からおよそ3500年ほど昔のことです。ヒマラヤ山脈の麓に西の方からアーリア人と呼ばれる民族が砂漠を越えてやってきました。彼らは先住民と戦いながら、ガンジス河やインダス河の水を求めて南へと勢力を広げていきました。これがインドの始まりです。
やがてインドは16の大国といくつかの小国に分かれ、それらの国々は勢力を広げるために互いに戦いを続けました。その中で、今のインドとネパールの国境を跨いで広がる地域に釈迦族が納める小さな王国が栄えていました。
この国は遠くヒマラヤ山脈の裾野にあって、戦乱からも免れ、静かで平和な生活を送っていました。王様の名前はシュッドダーナ。王妃の名前はマーヤといいました。
平山郁夫
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2.誕生(絵:平山郁夫「受胎霊夢」)

ある日、マーヤ王妃は不思議な夢を見ました。
天から白い象が下りてきて王妃の身体の中に入った夢でした。この夢が前触れかのように、やがてマーヤ王妃に男の赤ちゃんが生まれました。今から2500年ほど昔の4月8日のことでした。大喜びのシュッドーダナ王はその子にシッダルタ(望みのかなえられる者)と名付けました。
悲しいことにシッダルタが生まれて7日目に母のマーヤ王妃は亡くなってしまいました。シッダルタは王妃の妹のバツダイブニンに実母と変わらぬ愛情で育てられ、物事を深く考えるとても優しい青年に成長しました。
一方、シュッドーダナ王は「王子が老人、病人、死人そして修行僧に出会ったら、ブッダ(悟りを開いた人)となる道を選ぶだろう」という占いを聞いて、シッダルタに老人、病人、そして死を暗示するようなものを近づけませんでした。シッダルタに王国を継いで欲しかったのです。
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3.お城を捨てて(絵:平山郁夫「西域の馬」)

やがて美しく知性を備えた若者に成長したシッダルタは隣国のヤソーダラ姫を妃として迎えました。
しかし、侍者チャンナを伴い、愛馬カンタカに乗って出かけるようになると、シッダルタは王が隠してきた物事を知り、老いと病と死について深く考えるようになります。その後、修行僧に出合ったシッダルタは上辺だけの快楽に明け暮れた生活を捨て、修行に出る決心をします。
城に帰るとヤソーダラ妃に男の子が生まれたところでした。それでもシッダルタの気持ちは変わりません。皆が寝静まったときを見計らい、チャンナとカンタカを伴って城を抜け出しました。城から遠く離れると、チャンナとカンタカに別れを告げて言いました。
「私は老い、病、死の不安から逃れる道を探しに行くのだ。それを見つけたら必ず城に戻り皆にそれを教えよう」
何度もシッダルタを振り返るカンタカの目からは涙がこぼれていたといいます。シッダルタ29歳のときのことです。
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4.菩提樹の下で(絵:平山郁夫「鹿野苑の釈迦」)

シッダルタの旅に、5人の者たちがついて行きました。6人はまず仙人のもとで瞑想の修行をしました。シッダルタは間もなく指導者に請われるほどになりますが、求めている問いの答えは得られませんでした。
次に彼らは身体を傷めつける苦行を積みました。6年後、シッダルタはそれが無駄なことに気付きました。
「衰えた身体と朦朧とした頭でどうして正しくものを考えることができるだろうか」
5人はシッダルタが苦行をやめたことに腹を立てて去っていきました。シッダルタは大きな菩提樹の下でたった一人、澄んだ心で深い瞑想を続け、ついに悟りをひらきました。シッダルタ35歳のときのことです。
ブッタとなったシッダルタはお釈迦様と呼ばれるようになります。お釈迦様は厳しい修行を共にした5人を思い出し、鹿野苑で苦行を続けている彼らを訪ねました。5人はお釈迦様を見て敵意を露わにしましたが、やがてその姿の変化に気付きました。肌は輝くように美しく、身体全体から気高い威厳が漂っていたのです。
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5.教えを広めに(絵:平山郁夫「祇園精舎」)

鹿野苑でお釈迦様は5人に初めての教えを説き、5人はお釈迦様の最初の弟子となります。お釈迦様は5人とともに教えを広める旅を続けました。
その頃、インドではマガダ国とコーサラ国という二つの国が大きな力を持っていました。お釈迦様がマガタ国にやってきたとき、ビンビサーラ王が大勢のお供を従えてお釈迦様を訪ねてきました。
「いかなる富も名誉も永遠に続くものではない。本当の幸せを求めるなら、それらへの執着を捨てなさい」という言葉に感銘を受けた王はお釈迦様に多くの人々に教えを説くための住居と庭園を献上しました。「竹林精舎」と呼ばれる、世界で初めて建てられた仏教のお寺です。
コーサラ国のお金持ちスダッタもお釈迦様のためにお寺(精舎)を建てました。この精舎が建てられた土地がコーサラ国の王子「祇陀」の林園であったことから祇園精舎と名付けられました。
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 6.尊い財産(絵:平山郁夫「ラホールの月夜」)

やがてお釈迦様が故郷に戻ると、父シュッドダーナ王、育ての母バツダイブニン、ヤソーダ妃、そして大勢の親戚たちが大喜びで迎えました。その中には7歳になる息子ラーフラもいました。
「この子が王家を継いだらそれは苦悩の種になるだろう。それより私が菩提樹の下で得た尊い財産を与えよう」
お釈迦様はラーフラに尋ねました。
「ラーフラよ、鏡は何のためにあると思うか」
「自分を写すためです」
「その通りだ。身体による行い、言葉による行い、心による行いも鏡と同じように自分を映し出すものだ。そのことをいつも忘れないでいなさい」
ラーフラ王子はお釈迦様の教えをよく守り、立派な僧になります。
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7.新しい教え(絵:平山郁夫「メソポタミア平原」

当時、インドにはカースト制度があり、人は自分の階級から抜け出すことはできませんでした。さらに、カーストからはみ出た人々(チャンダーラ)もおり、彼らはカーストの中の人に近づくことも許されませんでした。
そこにお釈迦様により仏教が唱えられました。仏教は初めから全ての人のものでした。
「人は高いカーストに生まれたからといって尊くはありません。低いカーストに生まれたからといって卑しくことはありません。行いの正しい人は尊く、行いの正しくない人は卑しいのです」

ある日、お釈迦様の侍者アーナンダが井戸から水を汲んでいる少女に「水をください」と頼みました。少女はチャンダーラだったので「私にはあなたに水をあげる資格はありません」と言って断りました。
「私はあなたのカーストのことを尋ねているのではありません。どうかあなたの水を飲ませてください」というアーナンダの言葉に強く胸を打たれた少女はお釈迦様の教えを聞き、熱心に勉強をして弟子になりました。
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8.からしの種を探して(絵:平山郁夫「求法高僧東帰図」)

ある時、一歳の男の子を亡くした女性がお釈迦様のところに来て、自分の悲しみを切々と訴えました。
お釈迦様は言われました。
「あなたの悲しみを癒す方法が一つだけあります。町へ行って、まだ葬式を出したことのない家を探し、からしの種を一粒もらってきなさい」
彼女は必死で町中の家を訪ねましたが、死者を出したことのない家などありませんでした。やがて、彼女はお釈迦様が自分に何を教えたかったのかを理解しました。それは「全ての者に死は必ずやってくる」ということだったのです。
彼女は悲しい現実を受け入れ、子どもの亡骸をお墓に葬るとお釈迦様の元に戻り弟子になりました。
こうしてお釈迦様の教えはどんどん広まり、弟子は瞬く間に増えていきました。
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9.お釈迦様の死(絵:平山郁夫「仏教伝来」)

お釈迦様は45年もの間、人々に教えを説いて歩かれました。しかし、80歳を過ぎたころ、病気になり、死ぬときがきたことを悟りました。
侍者アーナンダが沙羅双樹の林の間に床を敷き、お釈迦様が身を横たえると不思議なことが起こりました。季節でもないのに沙羅双樹の花が咲き、お釈迦様を慕う人々だけでなく、兎や鼠、リスや象、牛や馬や羊などが集まってきました。
「私はいつでも、私に会いたいと思う人々の心のなかに現れるだろう」
そう言うと、お釈迦様は瞑想に入り、静かにこの世を去りました。お釈迦様80歳の2月15日、満月の夜でした。
お釈迦様が亡くなった後、 仏教はその弟子たちに受け継がれ、アジアの国々からヨーロッパやアメリカにまで広まって行きました。そして、2500年以上たった今も深く人々の心の中に生き続けているのです。
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