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  • 1.人気画家コロー(絵:モルトフォンテーヌの思い出)

    ミレーがまだ貧しかった頃、パリで最も人気のあった画家がカミーユ・コローです。
    コローはミレーより18年早く、1796年、フランス革命の7年後に、パリの裕福な家庭に生まれました。
    コローは中学校を卒業すると、昼は家業を継ぐための見習いをしながらも、画家になりたいという夢を捨てることができずに、夜は絵の学校に通って熱心に勉強しました。

    コローが画家になることをお父さんに許されたのは26歳のときです。
    29歳のときに長年の念願だったイタリアに行き、31歳のときにローマ郊外で描いた「ナルニ橋」で初めてサロンに入選します。
    32歳のときにフランスに戻ったコローはフォンテーヌブローにもたびたび出かけ、沢山の風景画を描きました。

    写真は1864年、68歳のときに描いたパリの郊外を描いた「モルトフォンテーヌの思い出」です。ナポレオン3世に買い取られ、長くフォンテーヌブローの宮殿に飾られていました。
    コロー
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    2.風景画家としての成功(絵:朝、ニンフの踊り)

    サロンに出品した作品は入選を続け、風景画家コローの名前は次第に人々に知られるようになりました。
    そんなコローをさらに有名にしたのが、1850年、54歳のときに描いた「朝、ニンフの踊り」です。この絵でコローは画家としての地位を不動のものとしました。
    1850年はミレーが「種をまく人」で画家としての力強い一歩を踏み出した年でもあります。

    コローは音楽会やオペラ座などで音楽を聞いたり、踊りを見るのが大好きでした。
    美しい森の風景を舞台に朝日を浴びて踊る妖精たちが軽やかで優雅なのはその影響なのでしょう。
    神話や歴史的背景のある風景画でも、現実をそのまま再現した風景画でもない、現実の風景に想像上の人物を配したコロー独特の風景画です。
    コロー
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    3.晩年の人物画(絵:青い服の夫人)

    風景画家として知られるコローですが、晩年には人物画も多く残しています。
    コローは絵のモデルになってくれる人たちと会話を楽しみながら絵を描くのが好きでした。
    モデルが動くことを嫌がる画家が多いですが、コローはモデルが動いても、しゃべっても、歌っても良いと考えていました。
    「私の目的は生命を描くことにあるので、モデルたちが動いてくれた方が良いのです」
    コローらしい言葉です。

    写真は「青い服の夫人」です。
    肩から二の腕にかけてのラインや胸の膨らみが色っぽいですね^^。物憂げな表情も良いです。
    生涯独身だったコローですが、もしかしたらこのご夫人のことを好きだったのではないかと妄想していまいます。(全く根拠はありません^^;)
    コローの人物画はコローの暖かい眼差しが感じられて好きです。
    コローB
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    4.心優しいコロー爺さん(絵:真珠の女)

    写真はコローが72歳のとき描いた「真珠の女」です。
    レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」と同じポーズをとったこの少女は人々の目を惹き付けました。
    コローはこの絵をとても気に入っていて、自分の家の客間に飾っていたそうです。

    絵が売れて有名になってもコローは優しい心を忘れず、贅沢もしませんでした。若い画家たちからは「コロー爺さん」と呼ばれて慕われました。
    自分はだぶだぶの仕事着に皺だらけのズボンをはきながら、いつも困っている人を助けてあげました。
    昔から仲の良かった画家のドーミエがお金に困っていることを知ると誕生日のお祝いに家を買ってプレゼントしたこともあります。
    ミレーが亡くなったときは、自分も重い病の床にあったにも関わらず、奥さんにお金を送って慰めています。

    そんなコローですが、自分は一生を絵に捧げると決めて、誰とも結婚しませんでした。その代わりに自分の描いた絵を「子ども」と呼んでいたそうです。
    コローはミレーの亡くなった1ヵ月後の1875年2月に78歳の生涯を終えました。絵を描くことだけに費やした幸せな人生だったのだと思います。
    パリにあるコローのお墓にはこんな言葉が刻まれています。
    「コローの心はいつも美しく陽気で、微笑みを忘れることはなく、愛が尽きることはなかった」
    コロー
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