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  • キリストの磔刑

    ヨーロッパでは十字を切って祈りを捧げる人の姿をよく見かけます。とても自然で美しい仕草です
    カトリック系の中学高校に通っていた僕もその真似事をしたことはありますが、様になるにはそれなりに年季が要ります。
    当然ですが、この十字はキリストの磔刑に由来します。
    最近読んだ「名画と読むイエス・キリストの物語」に「西洋における最多の図像といえば、キリスト教の中心概念を示す磔刑図だ」と書かれていました。
    そうやってキリストと十字架が視覚的に一体化されることにより十字架信仰はより強固なものになったのでしょう。
    キリストの磔刑
    キリストの磔刑(ベラスケス)

    僕の祖母は晩年を敬虔なクリスチャンとして生きました。きっかけは僕の父親(祖母の長男)の死です。
    父は僕が3歳のときに交通事故で亡くなりました。祖母の悲しみは想像を絶するものでした。その後1年間の記憶がないと生前、話していました。父の声を聞きに青森の恐山にも行ったそうです。
    その後、祖母はキリスト教に救いを見出します。ですので、僕が知っている祖母はいつも優しく凛としているクリスチャンです。
    しかし、悲劇は続きました。父の妹が癌で亡くなったのです。教会で祖母が「神様、もういいじゃありませんか」と慟哭したと、祖母の死後、神父さんから聞きました。
    祖母は八重子という名前の通り88歳まで元気に生きました。最期まで頭も明晰でした。
    遺族宛に手紙を書き残してくれたのですが、その文面は二人の子どもと旦那さんに再会する喜びに溢れていたように僕は感じました。

    いつだったか、祖母が祈りを捧げている姿を目にしたことがあります。その姿は息を飲むほど気高く、美しかったのを憶えています。
    ヨーロッパで祈りを捧げる人の姿を見たとき、祖母の姿が重なり思わず涙がこぼれそうになりました。

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    名画と読むイエス・キリストの物語名画と読むイエス・キリストの物語
    (2012/08/23)
    中野 京子

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    最期の晩餐

    宗教画の中でも「受胎告知」や「キリストの磔刑」と並んで描かれることが多いのが「最後の晩餐」です。
    聖書には細かい記述はないので画家たちのインスピレーションによって描かれていますが、最低限の約束事はあります。
    食卓を囲むのは13人、キリストと12人の使徒です。どの絵でもキリストとユダが分かるように描かれています。この席でキリストが「この中に私を裏切ろうとしている人がいる」とユダの裏切りを予告し、翌日、ユダの手引きによりキリストが磔刑に処されたというのが聖書に書かれた「最後の晩餐」の重要な要素です。

    ルネッサンスに先駆けて14世紀にイタリアで活躍したジョットの「最後の晩餐」ではユダだけ光輪が描かれていません。
    最後の晩餐②


    ドメニコ・ギルランダイオ(ルネッサンス期の画家)の「最後の晩餐」ではイエスを中心に横一列に並んでいるなか、ユダだけが机の反対側に座っています。
    最後の晩餐

    最も有名な「最後の晩餐」はレオナルド・ダ・ビンチのこの作品でしょう。
    最後の晩餐
    「この中の一人が私を裏切るだろう」とキリストが言った瞬間の12人の弟子たちのリアクションが描かれています。
    驚きの表情を見せる弟子、自らの無罪を訴えかけるような仕草をする弟子、思わず体を乗り出す弟子に混じって、警戒心からか身構えるようなポーズを取っているのがユダです。
    右手にはキリストを売り渡す報酬として受け取ったお金が入った袋を握り締めています。
    ユダを特定させるのに、一人だけ光輪を描かなかったり、机の前に座らせたりという分かり易い方法を用いなかったところにダビンチの力量を感じます。
    この絵は修道院の食堂の壁に描かれたものです。修道士たちは食事のたびにキリストと最後の晩餐をともにしているような厳粛な気持ちになったことでしょう。

    この場面ではユダの裏切りが注目されますが、実際にはキリストのことを知らないと3回も繰り返した「ペトロの否認」を始めとして、身体を張ってでもキリストを守ろうとした弟子がいなかったという意味では、ユダだけがキリストを裏切ったわけではありません。
    積極、消極の差はあれ、全ての弟子たちがキリストを裏切ったのです。そしてキリストはそれを前もって知っていながら、彼らを愛し、人間の原罪を贖うために十字架にかけられるという運命を受け入れました。

    それどころか、自分を磔刑に処した人たちにも赦しが施されることを祈ったのです。
    どこまでも深いキリストの愛です。

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    受胎告知

    先日、息子の幼稚園で聖劇がありました。受胎告知からイエス降誕、羊飼いの礼拝、東方三博士の礼拝までを園児達が演じました。
    クリスマスらしい微笑ましい劇でした。一つ一つのセリフがすっと心に染みてきました。例えば、大天使ガブリエルに救い主を身ごもったと告げられたマリアは答えました。
    「神様のお望みのとおりになりますように」
    受胎告知
    受胎告知(ボッティチェリ)

    当たり前のセリフなのですが、感じるものがありました。このマリアの精神はイエスにも引き継がれます。
    受難、弟子たちの裏切り、磔刑。イエスは人類の原罪を贖うためにこれらの運命を受け入れます。
    人生に起きる全てのこと。嬉しいことも辛いことも「全ては神の御心のままに」と受け入れる。それがキリスト教を信仰する人たちの強さなのでしょう。
    僕は無宗教に近い人間(敢えて言えば神道)なのですが、しっかりとした信仰を持っている人の強さに惹かれることがあります。

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