2018-01-26(Fri)

世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」



作者の西洋美術史家「木村泰司氏」は「美術は見るものではなく読むもの」と言います。
西洋美術は一定のメッセージを伝えるための手段として発展してきたので、作品が描かれた時代の政治、宗教、哲学、風習、価値観などを理解することで理解が深まるということです。

確かに印象派以降の画家の作品は何の知識もなく観ても充分楽しめると思いますが、ルネッサンス時代の宗教画や様々の教訓や寓意が込められていると言われる16、17世紀のオランダ絵画を鑑賞する際には知識はがないと「それはまるでわからない外国語の映画を字幕なしに観ているのと同じ」ということになるかもしれません。

勿論、印象派画家の作品も美術史における位置付け等を知っているにこしたことはありません。
まずは「おはなし名画」で画家の生涯を知ったうえで本書で「グローバルで活躍するエリートに必要な教養」を身に付けられることをお勧めします。

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2017-09-18(Mon)

眩(くらら) ~北斎の娘 NHK特集ドラマ

宮崎あおいさん主演ドラマ「眩(くらら)」が放映されました。
直木賞作家の朝井まかて氏が北斎の娘「お栄」の半生にスポットを当てた小説「眩」が原作です。



「おはなし名画シリーズ」の「葛飾北斎」でもお栄について触れられていて、画号「応為(おうい)」の由来などを北斎爺さんが語っています。ご興味があれば是非ご覧ください。
北斎爺さん曰く「美人画を描かせたらわしよりうまいかもしれん」とのことです。

応為

はたして天才、北斎の娘に生まれたことは幸せだったのか、不幸だったのか。
みなさんはどう思いますか?



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2013-07-17(Wed)

1.メディチ家の繁栄(絵:美しきシモネッタの肖像 by ボッティチェリ)

季節の花が色とりどりに咲き、明るく華やかなフィレンツェは「花の都」とも呼ばれます。今でも古い建物や大聖堂が昔のままの姿で残され、町全体がひとつの大きな美術館のようです。

今からおよそ500年ほど昔、この町を治めていたのはメディチ家という一家でした。メディチ家には二人の息子がいました。兄の名前はロレンツォ、弟の名前はジュリアーノ。
豊かな才能に恵まれ、芸術にも親しむ兄弟をフィレンツェの人々は心から慕っていました。

そんなジュリアーノの恋人がシモネッタです。
美しくて心が優しいシモネッタは町中の誰からも愛されていました。
詩人たちはシモネッタのために詩を作り、画家たちはシモネッタの肖像を描きました。
シモネッタのことを愛の女神「ヴィーナス」と呼ぶ人もいました。

写真は「美しきシモネッタの肖像」(1480~1485年頃)。ボッティチェリの作品です。
ボッティチェリ
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2.画家ボッティチェリ(絵:東方三博士の礼拝_部分)

ところが、シモネッタは若くして治る見込みのない重い病気に罹っていたのです。
シモネッタの病気を聞いて悲しむ人々の中に一人の画家がいました。彼の名前はボッティチェリ。
その頃フィレンツェで最も人気の高い画家でした。
ある日、ボッティチェリは詩人ポリツィアーノの書いた「ヴィーナスの王国」という詩を目にしました。

ここは ヴィーナスの王国
ごらん 美の女神が舞っている
なんて 楽しそうな花の妖精たち

ここは ヴィーナスの王国
ごらん いたずら好きの風の髪が
花の女神を 追いかける
春の花たちの 目を醒ますように

ボッティチェリはこの詩をもとにシモネッタの美しさを永遠に残す絵を描こうと絵筆をとりました。

写真はボッティチェリが描いた「東方三博士の礼拝(部分)」(1476年頃)です。
画面向かって右端がボッティチェリ、左から三番目の横顔がジュリアーノです。聖書を元にした絵画に自分たちを描くなんて大胆ですね^^。
ボッティチェリ
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3.ヴィーナスの王国(絵:春)

画面向かって右手では大地の精クロリスが楽しそうに遊んでいます。そこに現れたのが西風の神ゼフュロス。
ゼフュロスに捕まったクロリスは花の女神フローラに変身します。暖かい春の風に包まれて、辺り一面に花が咲く野原を薔薇の花を撒き散らしながら軽やかに歩いていきます。

画面中央から左手にはヴィーナスに仕える愛と美と恵みの女神たちが手を取り合って春の訪れを喜んでいるかのように踊っています。透き通る衣の美しさに人々はボッティチェリを「線の詩人」と呼びました。

いたずら好きのキューピットが女神たちを恋の矢で狙っていますが、ヴィーナスに目隠しをされてしまいます。
左に描かれているのはマーキュリーという名の神様です。花たちのために雨を降らせようとしているところです。
マーキュリーはジュリアーノの肖像とも言われています。

画面の真ん中ではこの春の王国を治める愛と美の女神ヴィーナスが皆を静かに見守っています。
ヴィーナスをはじめ、女神たちにも、大地の精にも、みんなシモネッタへの想いが込められています。

この絵はポリツィアーノの詩の題名をとって「ヴィーナスの王国」と呼ばれていましたが、後に画面に溢れる春のイメージから「春」(1478年頃)と名付けられ、今でも春の暖かさと喜びを活き活きと私たちに伝えてくれています。
ボッチチェリ
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4.もう一人のヴィーナス(絵:ヴィーナスの誕生)

シモネッタは「春」の完成を待たずに23歳という若さで亡くなってしまいました。
仲の良かったジュリアーノもシモネッタが亡くなった後、敵の人たちに殺されてしまいました。
華やかだったフィレンツェも少しずつさびれ、芸術の中心はローマ、ミラノ、ヴェネツィアに移って行きました。

そんな中、フィレンツェに留まったボッティチェリは「春」にも描き切れなかったシモネッタの思い出をもう一度描きたいと強く思うようになりました。
この頃、学者たちの間では愛と美の女神ヴィーナスは二人いると考えられていました。一人は天の神ゼウスと大地の女神ディオネから生まれた地上のヴィーナス。ボッティチェリが「春」に描いたヴィーナスです。

もう一人は海の泡から生まれた天上のヴィーナスです。
「この天上のヴィーナスこそ僕の描きたかったシモネッタに違いない」
そう思ったボッティチェリは早速、描き始めました。

「ヴィーナスの誕生」(1484年頃)では「春」にも描かれていた西風の神ゼフュロスが花の女神フローラを抱きながら海の泡に息を吹きかけています。そして、その泡の中から天上のヴィーナスが現れました。
ヴィーナスの気高い姿はまるで真珠のように光輝いて見えます。

ボッティチェリ
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2013-04-08(Mon)

1.インドの始まり(絵:平山郁夫「月光流砂行」)

今からおよそ3500年ほど昔のことです。ヒマラヤ山脈の麓に西の方からアーリア人と呼ばれる民族が砂漠を越えてやってきました。彼らは先住民と戦いながら、ガンジス河やインダス河の水を求めて南へと勢力を広げていきました。これがインドの始まりです。
やがてインドは16の大国といくつかの小国に分かれ、それらの国々は勢力を広げるために互いに戦いを続けました。その中で、今のインドとネパールの国境を跨いで広がる地域に釈迦族が納める小さな王国が栄えていました。
この国は遠くヒマラヤ山脈の裾野にあって、戦乱からも免れ、静かで平和な生活を送っていました。王様の名前はシュッドダーナ。王妃の名前はマーヤといいました。
平山郁夫
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おはなし名画「平山郁夫のお釈迦さまの生涯」の紹介記事

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2.誕生(絵:平山郁夫「受胎霊夢」)

ある日、マーヤ王妃は不思議な夢を見ました。
天から白い象が下りてきて王妃の身体の中に入った夢でした。この夢が前触れかのように、やがてマーヤ王妃に男の赤ちゃんが生まれました。今から2500年ほど昔の4月8日のことでした。大喜びのシュッドーダナ王はその子にシッダルタ(望みのかなえられる者)と名付けました。
悲しいことにシッダルタが生まれて7日目に母のマーヤ王妃は亡くなってしまいました。シッダルタは王妃の妹のバツダイブニンに実母と変わらぬ愛情で育てられ、物事を深く考えるとても優しい青年に成長しました。
一方、シュッドーダナ王は「王子が老人、病人、死人そして修行僧に出会ったら、ブッダ(悟りを開いた人)となる道を選ぶだろう」という占いを聞いて、シッダルタに老人、病人、そして死を暗示するようなものを近づけませんでした。シッダルタに王国を継いで欲しかったのです。
平山郁夫
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3.お城を捨てて(絵:平山郁夫「西域の馬」)

やがて美しく知性を備えた若者に成長したシッダルタは隣国のヤソーダラ姫を妃として迎えました。
しかし、侍者チャンナを伴い、愛馬カンタカに乗って出かけるようになると、シッダルタは王が隠してきた物事を知り、老いと病と死について深く考えるようになります。その後、修行僧に出合ったシッダルタは上辺だけの快楽に明け暮れた生活を捨て、修行に出る決心をします。
城に帰るとヤソーダラ妃に男の子が生まれたところでした。それでもシッダルタの気持ちは変わりません。皆が寝静まったときを見計らい、チャンナとカンタカを伴って城を抜け出しました。城から遠く離れると、チャンナとカンタカに別れを告げて言いました。
「私は老い、病、死の不安から逃れる道を探しに行くのだ。それを見つけたら必ず城に戻り皆にそれを教えよう」
何度もシッダルタを振り返るカンタカの目からは涙がこぼれていたといいます。シッダルタ29歳のときのことです。
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4.菩提樹の下で(絵:平山郁夫「鹿野苑の釈迦」)

シッダルタの旅に、5人の者たちがついて行きました。6人はまず仙人のもとで瞑想の修行をしました。シッダルタは間もなく指導者に請われるほどになりますが、求めている問いの答えは得られませんでした。
次に彼らは身体を傷めつける苦行を積みました。6年後、シッダルタはそれが無駄なことに気付きました。
「衰えた身体と朦朧とした頭でどうして正しくものを考えることができるだろうか」
5人はシッダルタが苦行をやめたことに腹を立てて去っていきました。シッダルタは大きな菩提樹の下でたった一人、澄んだ心で深い瞑想を続け、ついに悟りをひらきました。シッダルタ35歳のときのことです。
ブッタとなったシッダルタはお釈迦様と呼ばれるようになります。お釈迦様は厳しい修行を共にした5人を思い出し、鹿野苑で苦行を続けている彼らを訪ねました。5人はお釈迦様を見て敵意を露わにしましたが、やがてその姿の変化に気付きました。肌は輝くように美しく、身体全体から気高い威厳が漂っていたのです。
平山郁夫
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