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  • 1.幸せな暮らしを捨てて(絵:黄色いキリスト)

    ポール・ゴーギャンは1848年にパリで生まれまれ、幼い頃は南米のペルーで過ごします。17歳で水兵となり、23歳のときにパリに戻り株式仲買人となります。
    仕事も成功し、幸せな家庭にも恵まれたゴーギャンでしたが、35歳のときに会社を辞めて画家になる決心をします。画家になることに大反対だった妻メットとは心が通わなくなり、絵は中々お金になりませんでした。
    それでもゴーギャンの絵への情熱は消えません。ゴーギャンは絵を描くために積極的に旅をしました。ブルターニュ地方の美しい村ポンタヴァン、明るい太陽が光り輝くマルティック島、ゴッホと過ごした南フランスのアルル。
    旅先で出会った風景や人々をゴーギャンは自分にしか出せない色や線でキャンヴァスに描き続けました。こうして、ゴーギャンは徐々に人々から認められるようになっていきます。

    写真は「黄色いキリスト」(1889年)です。「なんでキリストが黄色いんだろう?」と思っていましたが、ゴーギャンがこの絵を描いたポンタヴァンには黄色いキリストの磔刑像があるそうです。可愛らしいキリストですね。
    ゴーギャン
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    おはなし名画「ゴッホとゴーギャン」の紹介記事

    ゴッホとゴーギャン (おはなし名画シリーズ)ゴッホとゴーギャン (おはなし名画シリーズ)
    (1992/10)
    辻 茂、川滝 かおり 他

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    2.タヒチへ!(絵:自画像_レ・ミゼラブル)

    1891年4月のある晴れた日、フランスのマルセイユから一隻の船が出発しました。
    目指すは太平洋の真ん中に浮かぶ小さな島タヒチ。大勢の見送りの人たちに見守られて港を離れていくこの船に43歳の貧しい画家ゴーギャンが乗っていました。少しづつ売れ始めた絵の売上金を元手に憧れ続けたタヒチに向かっていたのです。
    2ヵ月後、船がタヒチに着くと、ゴーギャンの胸は喜びと感動に震えました。
    豊かに枝を伸ばし葉を広げた南国の樹木、そこに実る珍しい果物、咲き乱れる花々。
    湿った暖かい風、潮の香り、ヤシの葉のすれる音、小鳥や動物たちの声。
    そして、黒々とした髪の美しい女性たち。全てがずっと求め続けていたもののように思えました。

    写真はアルルでのゴッホとの共同生活時代に描かれた「自画像(レ・ミゼラブル)」(1888年)です。背景の黄色い壁紙やゴーギャンの鋭い目つきが印象的です。彼がナルシスト、自意識過剰などと言われるのも分かる気がしてきます^^;
    ゴーギャン
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    3.タヒチの生活(絵:タヒチの女たち)

    ゴーギャンは早速、南の海岸に粗末な小屋を借りて毎日の絵の制作に励みました。
    タヒチの人々は木に登って果物を採り、舟で海に出て魚や貝を捕り、それらを食べて生活していました。
    ゴーギャンはそうした人々の暮らしや美しくて逞しい女性たちの姿を夢中で描きました。ゴーギャンはタヒチで暮らした2年間でおよそ70点の絵を描いています。
    この時の滞在ではゴーギャンは13歳のタヒチの少女テフラと暮らしましたが、病気と貧困のため2年後の1893年にパリに戻ります。
    写真の「タヒチの女たち」は1891年に描かれた作品です。
    ゴーギャン
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    4.我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか

    お金を使い果たし、健康状態も良くない45歳のゴーギャンを暖かく迎える家族はパリにはいませんでした。期待していた個展でも絵は売れず、ゴーギャンは失望と悲しみに包まれました。
    47歳になったゴーギャンは再びタヒチへと旅立ちますが、2回目のタヒチの生活は良いことばかりではありませんでした。病気は悪くなり、さらにフランスの妻から娘が死んだという知らせが届きます。
    希望をなくしたゴーギャンは心の中の悲しみ、苦しみ、悩みの全てを吐き出すようにキャンヴァスに向かいました。その絵は横6㍍縦2㍍という大きなものでした。
    「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへいくのか」(1897年)
    ゴーギャンが自分に何度も問いかけていた気持ちが絵の題名になりました。この絵を描いた後、ゴーギャンは自殺(未遂)を図っています。
    ゴーギャン
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    5.ひとりぼっちの死(絵:タヒチの風景)

    53歳になったゴーギャンはタヒチから150キロ離れた小さな島に移りました。ヤシの葉と竹を編んで小屋を作り「喜びの家」という名前を付け、そこで絵を描いて暮らしました。
    それからおよそ1年後の1903年の5月、ゴーギャンは病気と孤独と貧乏に苦しみながら心臓発作のために亡くなりました。南の島を愛した画家は南の島の果てでたった一人で死んでいったのです。
    ゴーギャンは54歳でした。

    写真は「タヒチの風景」(1891年)です。北斎の富士、セザンヌのサント・ヴィクトワール、クレーのニーセンなど、山を描いた画家は多いですが、どの絵も画家らしさが感じられて味わい深いですね。
    ゴーギャン
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