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  • 1.華やかな生涯(絵:接吻 by クリムト)

    謎に包まれた宗達の生涯と違い、光琳の生涯はかなり分かっています。
    光琳は1658年、京都の裕福な呉服屋の次男として生まれました。幼い頃より父から絵や書などの手ほどきを受け、また光悦や宗達の作品にも身近に触れて成長しました。

    光琳が本気で絵師の道を志したのは40歳の頃でした。
    遅い出発でしたが40代中頃には「燕子花図」屏風が生まれ絵師として世に認められます。
    47歳のとき初めて江戸に行き大名に仕えて絵を描いていましたが、堅苦しい武家の生活は光琳には合わず、5年程で京都に戻り、絵の制作に打ち込みます。

    写真は光琳の・・・では勿論、ありません^^。クリムトの「接吻」(1907~1908年)です。
    クリムトは光琳の影響を強く受けたことでも有名です。金箔の使い方の他にも遠近法を用いない平面的な画法も光琳の影響だといいます。
    200年のときを超えて、、、ロマンを感じます。
    クリムト
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    2.自然を愛でる(絵:柳に水鳥図屏風)

    光琳が生まれた呉服屋雁金屋は豊臣家や徳川家、天皇家や公家などを客に持つ京都でも有数の大店でした。
    このため光琳はお金に困らない生活をしていただけでなく、美と教養に富んだ贅沢な生活環境のなかで独自の造形感覚を養っていったのです。

    自然の様子を絵に表すのは日本美術の伝統です。琳派の絵師たちも身近な動物や植物などをよく描いています。
    光琳の「柳に水鳥図」屏風では河の流れでつながれた二つの場面に秋の情景と冬の情景が柳と水鳥で描かれています。

    金地の余白とシンプルな構図が光琳らしくて好きです。
    光琳
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    3.宗達に学んで(絵:紅白梅図屏風)

    光琳は宗達から多くのことを学びました。そのため模写も沢山しています。
    「風神雷神図」が有名ですが、他にも宗達の「運龍図」に描かれた波を取り出し、そこから「波涛図」を描いたりもしています。

    そして、最後に行き着いたのが最晩年の作品「紅白梅図」屏風の世界です。河と二本の梅の木を配しただけのシンプルな構図から大胆な力強さが伝わってきます。
    1716年に59歳で亡くなるまで光琳の絵師としての活動は20年程です。ちょっと短い気もしますが、若い頃の自由で気ままな生活やその頃に培った美的センスや教養が光琳らしさの土台になっているのでしょう。

    クリムトが光琳に影響を受けたことは有名ですが、この絵の河の渦巻く流れからはゴッホの星月夜を思い起こします。
    天才アーティストの感性は時も距離も超越してつながっているのでしょうか?
    光琳
    この絵を描くのに本物の金箔を使ったか否かという「金箔論争」はエックス線回折法などの最新技術を駆使して調査してもまだ結論が出ていません。奥深いですね!
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