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    1.江戸の本所に生まれる(絵:富嶽三十六景 隅田川関屋の谷)

    江戸時代が生んだ天才画家、葛飾北斎は1760年9月23日、江戸の本所、現在の墨田区亀沢あたりで生まれました。
    作品は海外でいち早く評価され、19世紀末には印象派の画家たちにも大きな影響を与えています。
    さらに驚くべきことに、北斎が残した傑作の殆どは70歳を過ぎてから89歳で亡くなるまでの間に描かれているのです。

    北斎が生まれた本所は近くに隅田川が流れ、晴れた日には富士山も見えました。北斎が生まれる前、この辺りは「本所に蚊がいないのは暮れと正月だけだ」と言われるほどじめじめと薄暗く、寂しい所だったそうで本所の七不思議と言われる昔話がいくつか残っています。

    写真は富嶽三十六景(隅田川関屋の里)です。
    北斎
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    2.殆ど知られていない前半生(富嶽三十六景 御厩川岸より両国橋見)

    当時、江戸は人口百万人を有する大都市になっていました。特に隅田川に両国橋がかけられると本所、深川あたりは著しく発展しました。

    北斎は幼いころ時太郎と呼ばれ、絵を描くのが大好きな子どもでした。
    父親は徳川に仕える鏡師(鏡を作る職人)だったとも言われます。母親は忠臣蔵に出てくる吉良上野介の家来、小林平八郎の孫娘だそうです。
    14歳の頃に掘師に弟子入りし木版を掘る仕事を教わり、19歳のときに当時最も人気のあった浮世絵師に入門します。33歳のときに師匠が亡くなると、その後は琳派の絵や森羅万象を手本にひたすら絵を描き続け、39歳で初めて北斎の名を使い、46歳から葛飾北斎の号を用いています。
    この頃には絵師として名を知られ、当時の江戸で流行っていた読本の挿絵や戯画、美人画や風景画などを沢山描いています。

    写真は富嶽三十六景(御厩川岸より両国橋夕陽見)です。
    両国橋の向こうに見える富士山と夕陽、隅田川の波に揺れる小船。富嶽三十六景の中でも独特の雰囲気のある絵です。
    北斎
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    3.絵師として名を知られる(絵:富嶽三十六景 山下白雨)

    50を過ぎると弟子も増え、国中から教えを請う者たちがやってきました。
    そこで、手本絵として森羅万象を描いた「北斎漫画」を出版すると、大変な評判を呼び、本は飛ぶように売れました。
    この頃までに名前を変えること20数回、肉筆画も含めると描いた絵の数は相当なものでしたが、それでも70歳を過ぎてからのものと比べれば数も質も取るに足らないと北斎は言います。

    70歳を過ぎて幾分、自然の形と命が分かってきたと自身で言う北斎。そして描いたのが「富嶽三十六景」です。
    世界的に有名な「神奈川沖浪裏」は我が家では「波の絵」として親しまれており、長男(5歳)の大のお気に入りです^^。
    前回、前々回もご紹介したように、江戸の町から見た富士もよく描いています。

    今日の絵は「山下白雨」です。白雨とは夕立のことでこの絵は「黒富士」とも呼ばれます。
    「赤富士」とも呼ばれる「凱風快晴」(凱風とは南風のこと)と同じ構図ですが、絵から受ける印象は全く違います。
    「凱風快晴」は山肌に南風を受ける爽やかな朝の富士。
    「山下白雨」は山麓に稲妻を奔らせる夕暮れ時の富士。
    富士山の表情は実に豊かです。
    北斎
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    4.旅先で見た富士(絵:富嶽三十六景 遠江山中)

    北斎は生涯で「93回転居し、日に3度ということもあった」と自ら語ったと言われています。引越しばかりでなく、たびたび長期の旅行にも出かけています。
    そして、行く先々で様々な富士を描いています。

    東海道を旅したときに相模の国梅沢のあたりで描いた「富士三十六景(相州梅沢左)」は水辺に憩う鶴、人里離れた自然の美しさが印象的です。
    「富嶽三十六景(甲州石班沢)」には日本三大急流の一つと言われる富士川の起点となる沢の早瀬で網打つ漁師が描かれています。
    「富嶽三十六景(甲州三島越)」は手前にそびえ立つ巨木の存在感が、「富嶽三十六景(駿州江尻)」には富士の山から下りてくる強い風(富士おろし)の凄まじさが描かれています。
    一生懸命働く人たちを描いた「富嶽三十六景(遠江山中)」も好きな絵です。

    写真の絵は「桶屋の富士」と呼ばれて親しまれている「富嶽三十六景(尾州不二見原)」です。
    ユニークな構図で、絵手本の中でコンパスや定規を使って絵を描く方法を図解していたという北斎ならではの作品です。
    北斎
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    5.旺盛な制作活動(絵:千絵の海 総州銚子)

    北斎が「富嶽三十六景」を描いている同じ時期、江戸の浮世絵師歌川広重の「東海道五三次」が大評判となり、広重はたちまち江戸の人気浮世絵師となっています。

    北斎も負けていません。
    落ちる水、流れる水、淀む水など水の様々な変化を捉えた8枚の滝の絵「諸国滝廻り」を「富嶽三十六景」と同時期に描き、その後には海と漁師を描いた10枚の連作「千絵の海」に取り掛かります。
    更にその後に、11の橋の絵「諸国名橋奇覧」を描いています。
    こうしてわずか4年の間に後に西洋でも有名になる風景版画を立て続けに制作したのです。

    写真の絵は「千絵の海(総州銚子)」です。銚子の荒波とそこで働く漁師の姿が描かれています。
    「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」の大波にも引けをとらない荒ぶる海です。
    北斎
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    6.三女のお栄(絵:葛飾応為作 夜桜美人図)

    「わしの絵はすでに西洋でも知られるようになったようだ。
    しかし、なぜか暮らしは少しも楽にならん。これまでに住まいをかえること50回をこすだろう。あいかわらず、長屋の仮住まい。そのうえ、妻や長女には死なれてしまった。

    年老いたわしの身のまわりの世話をやいたのは、三女のお栄。この娘はとにかく気が強い。わしの弟子の一人に嫁がせたのだが、亭主の絵を下手だと指差して笑うしまつ。
    離縁されたのもしかたがあるまい。
    しかし、絵はうまかった。ことに美人画を描かせたら、わしよりうまいかもしれん。
    わしに似て、住まいもみなりも食べることにもこだわらん。だが、わしが心地よく絵を描けるようにだけは、気配りをおこたらぬ娘だ。

    せまい家でのふたりきりの暮らし、たがいに『おぅい』『おぅい』とよびあえば、おおくを語らんでもおおよそ用はたりる。そこで応為(おうい)という画号をつけた。この名で浮世絵もよく描いたものだ。」
    (北斎爺さん談 from おはなし名画シリーズ第18巻「葛飾北斎」)

    応為
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    7.肉筆画(絵:西瓜図)

    北斎は70半ば頃までは錦絵と呼ばれる多色摺りの木版画をよく描いています。
    木版画は絵師が薄い紙に墨で下絵を描き、それを裏返して板に貼り付けたものを掘師が掘り、そして彫りあがった版木を使って摺師が紙に摺って出来上がります。絵師と堀師と摺師の共同作業なのです。
    初摺りこそ絵師の意図通りに作られるが、後摺りは版元の思いや世の流行で摺りを変えられることもあります。
    おはなし名画シリーズ19巻「葛飾北斎」では「杜若にきりぎりす」や「富嶽三十六景(山下白雨)」などでその実例を載せています。
    北斎は70も半ばを過ぎると、共に仕事をした堀師や摺師がいなくなったこともあり、絵の具を使って描く肉筆画を好むようになります。
    北斎の肉筆画としては水に棲む生き物や水鳥を描いたものも有名ですが、僕が好きなのはこの「西瓜図」です。
    西洋の画家たちが描く静物画とは違う味わいがあります。
    葛飾北斎
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    8.小布施での高井鴻山との出合い(絵:八方睨み鳳凰図)

    北斎が80歳になる頃に天保の大飢饉があり、多くの農民が餓死し、国中で百姓一揆が起こりました。
    江戸でもお上から厳しく質素倹約が命じられ、絵を描くことも贅沢とされるなど暮らしにくくなっていきました。
    その頃に知り合ったのが信州の小布施に住む大金持ち、高井鴻山です。鴻山は北斎のために自宅の庭に画室を作り、いつも北斎を暖かく迎えました。
    こうして、80を過ぎた北斎は小布施にしばしば出かけるようになります。

    北斎最後の作品は小布施で手がけた仏教寺院、岩松院本堂の天井絵「八方睨み鳳凰図(大鳳凰図)」です。
    天井一杯に描かれた大鳳凰は今でも鮮やかな色彩を保って、私たちをカッと睨んでいます。
    北斎は1849年に江戸の浅草で数え年90歳で亡くなりました。
    最後まで絵に情熱を燃やし続け、この世に強い思いを残した臨終でした。
    北斎
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