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2013-01-22(Tue)

1.光にたたずむ人たち(絵:デルフトの眺望)

窓から差し込む柔らかな光。
その光に包まれて手紙を読む人、牛乳を注ぐ人、レースを編む人、楽器を奏でる男女、笑いながら語り合う人たち。
人々の慎ましい暮らしの一場面を淡い光りの中に浮かび上がらせた画家、ヨハネス・フェルメールは1632年10月31日、オランダの小さな町デルフトに生まれました。
当時、デルフトはアムステルダムと並んで貿易の中心地として栄え、また織物、じゅうたんなど様々な産業も盛んで活気に溢れた町でした。
フェルメールの父親レイニールはそこで宿屋と居酒屋を営みながら美術品の売買もしていました。
フェルメールは父親の周りにいた画家たちの影響を受け、15歳の頃から絵の修行を始めたのではないかと言われています。
フェルメール
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2.市民の国オランダ(絵:窓辺で手紙を読む少女)

17世紀はじめ、世界に先駆けて共和国を実現させたオランダは市民中心の新しい国でした。
国民の多くが偶像崇拝を禁じるプロテスタントであったため、教会などに飾られる宗教画は必要とされませんでした。
一方、貿易や産業の繁栄によって裕福になったオランダ市民達は気に入った絵を家に飾るようになりました。
そのため、宮廷や教会に飾る壮大な歴史画や宗教画に変わって風俗画や風景画、静物画などが描かれました。

その中でもフェルメールの絵は当時のオランダの人々の暮らしをよく伝えてくれます。
例えば「窓辺で手紙を読む娘」では壁に大きな窓が描かれています。
国土の殆どが海より低いオランダでは深い霧に覆われた冬は長く、人々は窓から差し込む太陽の光をとても大切に思っていたのでしょう。
フェルメール
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3.創作に励む日々(絵:士官と笑う娘)

1652年にお父さんが亡くなるとフェルメールは家業の宿屋と居酒屋、そして美術商の仕事を引き継ぎ、同時に自らも画家として創作に励む多忙な生活を始めました。
まだ二十歳になったばかりでしたが、翌年には結婚もしています。
妻カタリーナとの間には次々に子どもが生まれました。
15人のうち、残念ながら4人は幼くしてなくなりましたが、11人の子ども達はすくすくと成長しました。

写真は「士官と笑う娘」です。壁には大きな地図が掛けられています。
世界の海を制覇したオランダは地図づくりの最も進んだ国で、地図は絵画とともに市民に愛された身近の物だったのです。
フェルメールにしては珍しく表情豊かな女性の美しい笑顔も印象的ですね。
フェルメール
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4.パン屋に飾られた絵(絵:水差しを持つ女)

フェルメールは30歳の頃には画家としても画商としても高く評価されるようになっていました。
しかし、父親の残した借金もあり、11人の子どもを抱える一家の生活は楽ではありません。
その合間を縫うようにして描いた絵は生活費や借金の返済に充てられました。
1663年、あるフランス人がフェルメールの評判を聞いて彼の家を訪ねたときの様子を日記に残しています。
「彼のアトリエには1点の絵もなかったが、パン屋で1点だけ見つけることができた。」
パンの代金を支払う代わりに絵を買ってもらったのでしょう。
写真は「水差しを持つ女」です。女性の穏やかな表情に和みます。
フェルメール
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5.オランダの繁栄と衰退(絵:天秤を持つ女)

17世紀前半にスペインから独立し、世界の国々との交易を広めて経済大国となったオランダですが、1652年にイギリスと戦争を始めたのを機に状況が変わっていきます。
オランダがイギリスの要求を受け入れ、一旦、戦争は終わりますが、1665年にイギリスは再びオランダに戦線を布告します。
2度にわたるイギリスとの戦争でオランダの国力は弱り、経済は衰え始めます。この状況に追い打ちをかけるように1672年にフランスが戦争をしかけると、オランダは一気に衰退していきます。
国力が弱まり、国民の生活も貧しくなると絵を買う人も少なくなります。画家としても、美術商としても、フェルメールの生活はますます苦しくなっていきました。
そんな中、1675年にフェルメールは妻と11人の子どもたちを残してこの世を去りました。
43歳という若さでした。

写真は「天秤を持つ女」です。フェルメールお得意の構図ですが、窓にはカーテンがかかっています。
壁の絵は最期の審判で人間の魂を秤にかけている様子が描かれているそうです。
フェルメール
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6.早すぎた死(絵:画家のアトリエ)

フェルメールの絵は現在、36点しか残っていません。22年間の画家生活の中ではあまりに少ない数だと言えます。
理由としては、家業が忙しすぎたことやフェルメールが好んで使った青の絵の具が金と同じと言われるほど高価のものだったことなどが考えられます。
亡くなったときに家に残っていた絵は借金の返済として処分されましたが「画家のアトリエ」という絵だけは妻カテリーナがどうしても手放そうとせず、長く彼女の手元にありました。
フェルメール自身がこの絵を手放さないように妻に遺言を残していたのです。
フェルメールの画家としての技術の粋を集めた自信作であり、思い入れのある作品だったのでしょう。。
この絵はその後、ナチスの手に渡るなど、数奇な運命を辿ったことでも有名です。
フェルメール
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