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    1.音楽家の両親の下で(絵:魚の魔術)

    パウル・クレーは1879年12月、スイスの首都ベルンに近い、ミュンヒェンブーフゼーという町に生まれました。
    ドイツ人のお父さんは音楽の先生でオルガン奏者、スイス人のお母さんは声楽家でした。
    クレーも幼いことから音楽が大好きで7歳のときにはヴァイオリンを習い始めました。
    画家を目指すようになってからもクレーの音楽を愛する気持ちは変わらず、23歳のときにはベルリン市管弦楽団の団員となりヴァイオリンを弾いていました。
    クレーの描いた絵を見ると音楽が聞こえてくるような気がするのはきっとそのせいなのでしょう。

    音楽のほかにもクレーは本を読むことも、文章や詩を書くことも好きでした。また動物や植物の勉強も欠かしませんでした。
    本を読むことも、ヴァイオリンを弾くことも、自然を観察することも、クレーの絵を描く大きな力になっていたのです。

    下の絵は「魚の魔術」です。この絵の背景には重く静かな、それでいてリズミカルな音楽が流れているように僕は感じます。
    おはなし名画に掲載されているこの絵の印刷はこの画像より黒が鮮やかで、魚や花が浮かび上がっています。
    クレーの絵は特に印刷によって印象が変わる気がします。本物を見てみたいです。
    クレー
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    「おはなし名画シリーズ」の「クレー」の紹介記事
    「おはなし名画をよむまえに」の「クレーと黄色い鳥のいる風景(詩・谷川俊太郎)」の紹介記事

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    2.青年の日々(絵:R荘)

    クレーは美術学校に入学後、21歳のときにイタリアのミラノ、ローマ、ナポリ、フィレンツェを7ヶ月かけて周る旅をしました。
    美しい建物に目を見張り、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリの作品に心を打たれました。
    「将来は建築と詩が溶け合ったような絵を描く画家になりたい」とイタリア旅行の日記に書いています。
    旅もまた、クレーの絵を描く力になったのでしょう。

    クレーはほかの画家が描いた絵も熱心に勉強しました。
    28歳のころにはゴッホの展覧会に深い感銘を受け、その翌年にはセザンヌの絵に出会い、以後、セザンヌを師と仰ぐようになります。
    そして30歳のときには初めて個展も開いています。

    写真は「R荘」です。40歳の少し前に描いた作品ですが、イタリア旅行の日記が実現した作品のように思います。
    クレー
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    「おはなし名画シリーズ」の「クレー」の紹介記事
    「おはなし名画をよむまえに」の「クレーと黄色い鳥のいる風景(詩・谷川俊太郎)」の紹介記事

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    3.色を発見した旅(絵:ニーセン山)

    クレーは34歳のときのチュニジアに行きます。
    チュニジアでクレーが目にしたのはきらめく太陽の光でした。
    太陽に照らされて、椰子の木や建物や植物、ラクダや海、全てのものがくっきりと鮮やかな色を見せていました。
    クレーの心のなかで色が音楽を奏でているようでした。

    クレーはこのときの感動をこんな風に言っています。
    「色が私を永遠に捉えたのです。色と私が一つになったのです」
    それからというものクレーはカンヴァスのうえに澄み切った美しい色を浮かび上がらせることに夢中になりました。

    写真は「ニーセン山」です。ニーセン山はスイスにある富士山にも似た美しい山です。
    ネット上でこの絵の画像を検索したのですが、納得の行くものがなく、「おはなし名画」の印刷を携帯で撮りました。
    どうしても歪んでしまいますが、色はまあまあ鮮やかに写っていると思います。写真は光の当たり方等で印象が全く変わってしまうので難しいです。
    おはなし名画の印刷は美術館から直接取り寄せているのである程度本物に近い色が出ているとは思いますが、やはり最期は本物を見ないといけないですね。ベルン美術館蔵の作品です。
    クレー
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    「おはなし名画シリーズ」の「クレー」の紹介記事
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    4.妻リリーと息子フェリックス(絵:幻想喜歌劇「船乗り」から格闘の場面)

    クレーがピアニストのリリーと結婚したのは26歳のときでした。ふたりはドイツのミュンヘンに住むことにしました。
    音楽好きのクレーとリリーはお客を家に招きピアノやヴァイオリンを弾いて楽しみました。
    翌年には息子のフェリックスが生まれました。
    クレーとリリーはフェリックスを連れてコンサートを聴きに行ったり、芝居やサーカスを見によく出かけました。
    そんなクレーの影響を受けて、フェリックスは後に演劇の道に進むことになります。

    写真は「幻想喜歌劇『船乗り』からの格闘の場面」です。
    「船乗り」という題の幻想喜歌劇があったわけではなく、単独の絵画作品です。
    逆に今ではこの絵から詩や音楽や劇が作られているようです。(あまり詳しくは知りません^^;)

    ちなみに、この画像も「おはなし名画」の印刷とは色合いや印象が若干違います。
    クレー
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    「おはなし名画シリーズ」の「クレー」の紹介記事
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    5.猫好きで電話嫌い(絵:猫と鳥)

    クレーは料理をするのも好きだったので、美味しい料理や珍しい料理を作り、リリーを喜ばせました。
    もう一つ、クレーが大好きだったものがあります。それは猫です。
    クレーは一生を通して、沢山の猫たちと一緒に暮らしました。
    描いたばかりで絵の具が乾いていない絵に寝転んだりされると絵はメチャクチャになってしまいます。
    それでもクレーは怒りません。猫のすることは何でも可愛くて仕方なかったのです。
    うちの息子とばあばの関係に似てて顔がほころんでしまいます^^。

    反対にクレーの嫌いなものが一つありました。それは電話です。
    絵や読書に熱中しているときに突然鳴り出す電話のことを「悪魔の箱」と予備、クレーは家から電話を取り払ってしまいました。

    写真は「猫と鳥」。1928年、エジプト旅行をした年に描かれた作品です。
    クレー
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    6.ふたつの戦争

    1914年にクレーが34歳のときに起きた第一次世界大戦が3人の幸せな生活に襲いかかります。
    2年後には家族と離れ、ドイツ兵として戦うことになります。一緒にチュニジアに旅行した友達の一人もこの戦争で亡くなっています。

    1918年、ドイツの敗戦によって戦争が終わるとクレーはミュンヘンにあるお城に大きなアトリエを借りて次々に作品を生み出しました。これらの作品を集めて開かれた展覧会は大成功をおさめ、クレーの評判は世界中で高まりました。
    41歳のときにはドイツの美術学校の教授に招かれました。クレーは同じくこの学校で教えていた抽象画の創始者カンディンスキーと親しくなり、隣同士の家に住んでいたこともあります。
    48年に念願だったエジプト旅行に行くと、クレーの絵にさらに魔法のような魅力が加わりました。

    けれどもこの頃、クレーの教えていた美術学校のあるドイツはフランスやイギリス、アメリカとも対立して日に日に戦争に向かって進んでいきます。
    とうとうクレーはドイツを去り、生まれ故郷のスイスのベルンに戻ることにしました。
    写真は「選ばれた場所」。エジプト旅行の直前に描かれた作品です。
    クレー
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    7.死を見つめながら

    スイスには平和がありました。クレーは絵の制作に情熱を傾けました。
    しかし、55歳のとき、皮膚が固くなる病気に罹ってしまいます。
    60歳で亡くなるまで、この病気は治ることはありませんでした。

    病気になってからもクレーの絵を描く情熱は衰えることはありませんでした。
    クレーが一生に描いた約9000点の作品のうち1500点は病気と闘っているときに描かれたのです。
    「芸術とは目に見えるものをあらためて描くのではなく、見えないものを見えるようにするものだ」
    この言葉からも分かるようにクレーは見えないものをカンヴァスの上で永遠に追い求めた画家でした。

    クレーは亡くなる1年前に数10点の「天使の絵」を描いています。
    どの絵も何ともいえない味があって好きですが、やはり「忘れっぽい天使」が可愛いですね^^。
    息子(5歳)の描く人の顔の絵が何となくクレーの天使に似ているのような気がするのは完全なる親ばかでしょう^^;
    クレー
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