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    1.印象派絵画との出逢い(絵:アニエールの水浴)

    ジョルジュ・ピエール・スーラは1859年、パリに生まれます。
    とても裕福な家でしたが、お父さんはパリ郊外の別荘に引きこもり、子ども達と遊んだり話たりすることはめったにありませんでした。お父さんの無口で内気な性格を受け継いだスーラも心を開いて人と話すことは殆どありませんでした。

    絵が大好きだったスーラは19歳になったとき、パリの美術学校に入学し、毎日、神話や聖書の物語の絵を描き写して過ごしました。そして2年目の春、スーラはパリの展覧会で初めてモネやドガなどの印象派の絵画を眼にして強く心を打たれました。
    それ以来、スーラは古い描き方ばかり教える学校をやめ、一人でひたすら絵を描いて過ごしました。そして印象派の色使いを取り入れながらさらに新しい描き方を考え出します。それは絵具を混ぜ合わせず、小さな色の点をカンバスに並べて描く方法でした。後に点描画法と呼ばれるようになる画法です。

    写真はスーラの最初の大作「アニエールの水浴」(1883~1884年)です。
    右手には後の代表作の舞台となる「グランド・ジャット島」も描かれています。
    アニエール
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    おはなし名画「セザンヌとスーラ」の紹介記事

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    2.シニャックとの出逢い(絵:シニャック「帆と松」)

    1年がかりで描き上げた大作「アニエールの水浴」は1884年のサロンに落選してしまいます。
    すっかり気を落としたスーラでしたが、幸いこの年に若い画家達が集まって開いた独立展(アンデパンダント展)に出品することができました。この会の仲間達はサロンからの独立を目指していたのです。
    生涯の友となったポール・シニャックと出合ったのもこの時でした。
    印象派画家のピサロを尊敬して画家を志したシニャックですが、スーラの点描画法を知ってからすっかりその虜になってしまいました。
    時にはシニャックの絵はスーラの絵と見分けがつかないほどでした。
    写真はシニャックが描いた「帆と松」です。
    シニャック
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    3.新印象主義画家の誕生(絵:グランド・ジャット島の日曜日の午後)

    「アニエールの水浴」に続いて取りかかったのが新しい油絵の大作「グランドジャット島の日曜日の午後」(1884~1886年)です。グランド・ジャットも行楽地として人気のあったセーヌ川に浮かぶ小さな島です。
    スーラはこの時も毎日のようにこの島に出かけ、スケッチを繰り返し、アトリエでそのスケッチをもとに色の点でカンヴァスを埋め続けました。
    2年かかってようやく仕上げたその絵にはそれまでの画家が誰も描かなかった不思議なスーラの世界がありました。
    ピサロの勧めでこの絵を1886年に開かれた最後の印象派展に出品すると、スーラはパリの芸術家達の間で話題の中心となりました。
    「印象主義の時代は終わり、新しい時代が来た」
    スーラは新印象派画家と言われるようになります。
    スーラ
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    4.セーヌ川から夜の街まで(絵:シャユ踊り)

    有名になったスーラのアトリエには多くの画家がやってくるようになりました。その中にはドガ、ゴーギャン、ゴッホなどもいました。
    ところが、自分の画法を真似されることをとても嫌がったスーラは人々を避け、セーヌ川やノルマンディーの海岸で自然の風景や波止場、灯台などを描いて過ごしました。
    やがて夜の街に繰り広げられるショーや見世物にも興味を惹かれ、サーカスやナイトクラブの賑やかで動きのある絵を描き始めます。
    どの絵も夜の光やそこに照らし出される人々が見事に描き出されています。
    写真は「シャユ踊り」(1889~1990)です。
    スーラ「シャユ踊り」
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    5.夭折(絵:サーカス)

    30歳の頃、スーラはマドレーヌ・ノブロックという女性に恋をし、一緒に暮らし始めます。1890年には息子、ピエールも生まれます。
    しかし、マドレーヌやピエールと過ごした静かな日々は突然、終わりを告げることになります。1891年3月、スーラはジフテリアに罹り、31歳の若さで夭折してしまったのです。
    マドレーヌと1歳になったばかりのピエールを家族に引き合わせたのは死の2日前のことでした。
    人付き合いを避けていたスーラらしいエピソードです。
    スーラの死から2週間後、幼いピエールも同じ病気で亡くなり、マドレーヌはどこかに姿を消しました。その後の彼女の行方を知る人はいません。
    写真は未完の遺作「サーカス」(1890~1891年)です。仲間たちによって展覧会に出されました。
    スーラ
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