• 管理画面
  • 1.パリの浮世を描いた反骨の画家(絵:バレエ教室)

    一口に「印象派」と言っても、その意味するところは文脈によって変わります。
    ドガは印象派の即興性を否定し、アトリエでデッサンを繰り返す伝統的な手法で作品を制作しました。自身は印象派と呼ばれるのを嫌い、自分達のグループ展を「印象派展」と呼ばれるのにも反発しました。
    とは言え、「印象派」を19世紀後半のフランス絵画界に巻き起こったムーブメントとして捉えた場合、ドガがその一員としてカウントされるのは自然なことでしょう。ドガは第一回グループ展から積極的に関わり、全八回のうち七回に参加しています。上流階級の生まれながら、権力に媚びることを良しとしない反骨の人でした。

    若い頃、歴史画家を目指していたドガは、後に出会うマネやジャポニスムの影響で近代都市パリの「浮世」を描くようになります。中でもバレエの稽古をしている踊り子たちを描いた「ダンス教室」(1873~1874年)は有名です。
    「彼女たちはたった一度の舞台のために来る日も来る日も練習に励んでいる。画家もこうあるべきだ」
    その思いが伝わってくる、鏡に写った踊り子の姿やパリの町並みなどの細かいところまで丁寧に描き込んだドガらしい作品です。
    ドガ
    続きはこちらから

    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

    ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)
    (1993/04/01)
    辻 茂

    商品詳細を見る
    スポンサーサイト

    2.おこりんぼうなお坊ちゃん(絵:ベレッリ家の人々)

    エドガー・ドガは1834年、パリに生まれました。お父さんは銀行経営者、お母さんは貴族の生まれでした。ドガは子どもの頃から無口で気難しく、怒りっぽい性格の持ち主でした。そのため、心を許し合える友達も少なく、一生を独身で過ごしました。
    ドガは応援してくれたお父さんのお陰でお金の心配をすることなく、絵の勉強に打ち込みました。22歳から3年間、絵の勉強のためにイタリアにも行っています。パリに戻ってからフィレンツェで滞在したベレッリ男爵の家族を描いたのが写真の「ベレッリ家の人々」(1857~1860年)です。

    マネの「バルコニー」は近代化する都市の人間関係の希薄さ表現をしていると言われますが、この絵からはそれ以上のものを感じます。病的ですらあります。醒めた目で現実を抉るようなドガらしさの片鱗を感じさせる初期の作品です。
    この後、1862年にドガはルーブル美術館でマネと知り合い、親しくなります。そしてマネを通じて、モネやルノワールなどと交流を深めていきます。
    ドガ
    続きはこちらから

    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

    ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)
    (1993/04/01)
    辻 茂

    商品詳細を見る

    3.くくりつけられた絵(絵:アマチュア騎手のレース、スタート前)

    ドガは上流階級の娯楽である競馬場を舞台にした絵も描いています。
    ドガには珍しい戸外の風景です。絵を描く前には粘土を作って形や動きを確認することもあったそうです。そうやって人や動物の一瞬の動きを捉えていたのです。
    それでもドガは絵の出来に満足することはなく、一旦、売れた絵についても後で手直しすることがよくありました。ドガの絵を買った人はドガに持っていかれないように絵を鎖で壁に括り付けていたという「伝説」も残っています。

    写真の「アマチュア騎手のレース、スタート前」も1862年の作品を1882年に加筆したものです。
    同じレジャーでもモネやルノワールがパリ郊外の自然を楽しむ人たちを描いたのと対照的で面白いですね。
    ドガ
    続きはこちらから

    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

    ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)
    (1993/04/01)
    辻 茂

    商品詳細を見る

    4.同じものを何回も描く(絵:アイロンをかける二人の女)

    ドガはパリで生活する人々の姿を沢山描きました。
    洗濯をする人、帽子を選ぶ人、髪をとかす人。ドガはこうした人たちを何度も何度も観察して繰り返して下描きをしました。
    「同じものを10回でも、100回でも描かなくてはならない」(ドガ)
    画学生時代にフランス新古典主義の巨匠アングルに会ったドガは「ともかく線を沢山引くことだ」とアドバイスされ、感激したと言います。
    ドガは有名になってからもその言葉を忘れず、努力を続けていたのです。

    写真は「アイロンをかける二人の女」(1884~1886年)です。懸命に働く女性と隣で欠伸をしている女性の対比が微笑ましいです。
    女性が手にしている瓶に入っているのがワインに見えるか、仕事に使う液体に見えるかはあなた次第です^^
    ドガ
    続きはこちらから

    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

    ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)
    (1993/04/01)
    辻 茂

    商品詳細を見る

    5.目が見えなくなっても(絵:エトワール)

    ドガの目は50歳頃からだんだん見えなくなっていきました。
    それでもドガは負けません。記憶を手がかりに彫刻の制作に取り組んだのです。1881年の展覧会には彫刻「14歳の踊り子」を出展しています。踊り子の手を描くためだけにノート一冊全てを使うこともあったというドガの頭の中には踊り子の姿が完全に入っていたのでしょう。

    写真はその踊り子を描いた代表作の一つ「エトワール」(1878年)です。真上から俯瞰した視点で描かれています。撮影用のカメラなどなかった当時としては珍しい視点だったでしょう。ドガは絵を観る人がどう感じるかを常に考えていたのだと思います。
    画面の奥に控えの踊り子やパトロンの男性など、影の部分も描かれているところにドガらしさを感じます。

    1917年、ドガは83歳で亡くなりました。葬式の日、ドガの友達はドガの顔を見て驚いたといいます。生きているときには気難しくて怒りっぽかったドガの顔に優しく静かな微笑みが浮かんでいたそうです。
    ドガ
    ドガの生涯トップに戻る

    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

    ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)ルノワールとドガ (おはなし名画シリーズ)
    (1993/04/01)
    辻 茂

    商品詳細を見る
    FBのおはなし名画ページ
    カテゴリ
    紹介されているサイト