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  • 1.印象派を代表する職人画家の誕生(絵:縫いものをする女)

    オーギュスト・ルノワールは1841年、フランス中部の町で生まれました。お父さんは洋服の仕立て屋を、お母さんは洋服を縫う仕事をしていました。一家の暮らしは貧しく、ルノワールは小学校を卒業すると陶器に絵を付ける職人の道に進みます。
    モネと並んで印象派を代表する画家のルノワールですが、その作品は必ずしも印象主義的なものばかりではありません。時代と共に画風は変化しましたし、顧客の好みに合わせて描き分けてもいました。職人ならではの技と言えるかもしれません。

    ルノワールは修行時代にルーブル美術館に足繁く通い模写をしています。
    ある時、ルノワールがモネをルーブル美術館に連れていくと、モネは窓の外の景色ばかりを眺めていました。このとき、モネは「僕は目に見えるものを見えるままに描きたいんだ」と言ったそうです。二人の絵に対する考え方の違いが窺えて面白いです。
    ルノワールは中でもロココ絵画を好んで模写したそうです。いくつかの作品にその影響を見ることができるように思います。

    写真は「縫いものをする女」(1879年)です。モデルが誰かは不明ですが、お母さんを思って描いたのかもしれないですね。
    ルノワール
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    おはなし名画「ルノワールとドガ」の紹介記事

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    辻 茂

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    2.親友画家モネ(絵:ポン・ヌフ)

    「僕の絵を見る人に楽しい気分になって欲しい」
    ルノワールが画家としての人生を通していつも言っていた言葉です。

    「楽しくなかったら僕は絶対に絵など描きません」
    20歳を過ぎて絵の勉強は始めたばかりの頃に先生にこう言ったそうです。

    「風景ならその中に入って散歩したくなるような絵を、女の人なら抱きしめたくなるような絵を描きたい」
    これもルノワールらしい言葉ですね。

    ルノワールは21歳のときに陶器の絵付けの仕事を辞めて画家になる決心をします。
    入学した国立美術学校で、画家を目指す沢山の友達と出会います。中でも一番仲が良かったのがモネです。
    二人は教室やアトリエよりも、青空の下で風景や人物を描くことを好み、フォンテーヌの森やセーヌ河に出かけてキャンパスを並べて絵を描きました。「ラ・グルヌイエール」の競作で印象派を象徴する「色彩分割法」を生み出したのもこの頃のことです。
    チューブ入り絵の具の発明があったとはいえ、当時は画家が戸外で絵を描くのは珍しいことでした。

    写真はルノワールの「ポン・ヌフ」(1872年)です。セーヌ川に架かるパリ最古の橋を舞台に近代都市パリの様子が描かれています。
    ルノワール
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    3.印象派風俗画の最高傑作(絵:ムーラン・ド・ラ・ギャレット)

    28歳のときに恋人を描いた「日傘をさすリーズ」でサロンに入選し、画家としての一歩を踏み出したものの、その
    後は落選が続き、ルノワールは貧しい暮らしを続けます。リーズとも別れてしまいます。
    そんな中、ルノワールは1874年にサロンに対抗して、仲間と一緒に後に「第一回印象派展」と呼ばれる展覧会を開催します。人物を描いた風俗画を中心とした7点の出展作品はモネのような酷評はされませんでした。モネと違って古典に敬意を払い、模写を繰り返していたルノワールの作品は当時の人たちには比較的受け入れ易かったのかもしれません。
    ルノワールはモネより一足先に人気画家への道を進んでいくことになります。

    写真は第三回印象派展(1877年)に出展した印象派最高傑作の一つ「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」です。ルノワールがよく訪れていたダンスホールの様子が描かれています。
    降り注ぐ光の中から人々の楽しそうな笑顔が浮かび上がっています。「僕の絵を見る人に楽しくなって欲しい」と言っていたルノワールらしい作品です。
    この後、ルノワールはより大きな成功を求めてサロンに戻っていきます。
    ルノワール
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    4.人気画家への道(絵:シャルパンティエ夫人と子どもたち)

    第一回印象派展の翌年にルノワールはエミール・ゾラなどの小説を出版していたジョルジュ・シャルパンティエと出会いました。裕福だったシャルパンティエ一家は貧乏な画家ルノワールを支援しました。
    そして、シャルパンティエ夫妻の強い勧めもあり、ルノワールはサロンに復帰します。写真の「シャルパンティエ夫人と子どもたち」(1878年)はサロンに入選し、多くの人の目に止まりました。
    顧客の好みに合わせて絵を描いたルノワールは台頭するブルジョワ階級の間で人気の肖像画家となります。しかし、同時に印象派的手法で人物を描くことに限界も感じ始め、印象主義を離れて独自の道を歩んでいくことになります。

    それにしても、子ども二人がお人形さんみたいで本当に可愛い!!シャルパンティエさんも喜んだことでしょう^^。ルノワールの人気の秘訣ですね。
    真ん中の子どもはなんと、男の子です。当時のヨーロッパには5歳くらいまで男の子も女の子として育てる風習があったのです。
    ルノワール
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    5.印象主義からの旅立ち(絵:舟遊びする人たちの昼食)

    人気画家となったルノワールに更に大きな幸せが訪れます。アリーヌとの出合いです。
    39歳のときに描いた「舟遊びをする人たちの昼食」(1881年)には左端に犬を抱いたアリーヌの姿を見ることができます。
    僕はルノワールの作品ではこの絵が一番好きです。暖かな光のもとで楽しく談笑している人々の姿は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」にも共通しますが、人物はよりしっかりと描かれており、この後、古典主義にに回帰していくルノワールの作風を予感させます。

    ルノワールは40歳になると、生まれて初めて外国への旅行に出かけ、ルネッサンスからフランス古典主義の巨匠達の絵画を辿っています。そして、41歳のとき、アリーヌと幸せな結婚をします。
    ルノワール
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    6.シュザンヌとユトリロ(絵:都会のダンスと田舎のダンス)

    1882年から1883年に描かれた「田舎のダンス」と「都会のダンス」はルノワールが印象主義と決別したことを示しています。さて、ここで注目したいのが絵のモデル達。
    「田舎のダンス」(右)に描かれているのはずんぐりした田舎娘のアリーヌ。ルノワールの奥さんです。
    「都会のダンス」(左)に描かれている洗練された美しい女性はシュザンヌ・ヴァラドン。後にドガに師事して画家としても成功する女性で「エコール・ド・パリ」の旗手ユトリロの母親でもあります。
    エリック・サティやロートレック(ドガとも?)らと浮名を流した彼女はこの時期ルノワールとも愛人関係にあったそうです。つまり、アリーヌ含めた三角関係にあったことになります。
    彼女はユトリロの父親について公言はしていないものの、ルノワールを仄めかす発言を時折していたそうです。ユトリロが1883年12月に私生児として生まれたことを考えるとあり得なくはないですね。
    勿論、こんな話は「子どもの為の」美術全集「おはなし名画」には載っていません^^。
    ルノワールルノワール
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    7.晩年(絵:ピアノに寄る娘)

    モネ同様、ルノワールも1890年頃には多くの人々から認められる画家になります。
    1892年、51歳のときに描いた「ピアノに寄る娘」はフランス政府に買い取られました。若い頃好きだったロココ絵画、親友モネと追求した印象主義、その後に回帰した古典主義。ルノワールの全てが結集された絵だと思います。
    ルノワールは56歳のときに重い病気に罹りますが、手首に筆を縛り付けて懸命に絵を描き続けました。晩年に描いた豊満な裸婦は有名ですね。78歳でこの世を去る直前に「やっと何かが分かり始めたような気がする」という言葉を呟いたそうです。

    ある時、アリーヌは言いました。
    「ぶどうの木がワインになるために生えてくるように、ルノワールはを描くために生まれてきたのよ」
    妻に愛され、好きな絵を最後まで描いた幸せな人生だったのでしょう。
    ルノワール
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