2013-04-23(Tue)

1.ピサロとの出逢い(絵:キューピット像のある静物)

ポール・セザンヌは南仏プロヴァンス地方のエクスという町に1839年に生まれました。
セザンヌは少年時代から勉強家で成績も良かったのですが、将来は画家になりたいと心を決めていました。
ところが、エクスで銀行を経営するお父さんはセザンヌが画家になることに大反対でした。何度も何度も話し合い、やっとのことでセザンヌは画家になることを許されます。セザンヌは22歳でした。
希望に胸を膨らませてパリにでたセザンヌはピサロ、モネ、ルノワール、ドガなど、まだ世の中に認められていない「印象派」の画家達に出会います。
中でも10歳年上の心優しいピサロはセザンヌにとってかけがえのない友となりました。

写真は「キューピット像のある静物」(1895年)です。初めて見たとき、無重力空間かと思いました。
「多視点からの描写」という手法を用いているために空間が歪んで見えるのです。この手法はピカソ等に大きな影響を与え、やがてキュビズムとして開花します。
キューピット像のある静物
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2.挫折(絵:サント・ヴィクトワールとシャトー・ノワール)

1874年にピサロたちが開いた第1回印象派展にセザンヌも出品しました。ところがセザンヌの絵は人々から笑われてしまいました。3年後の印象派展でも結果は同じでした。
がっかりしたセザンヌはそれから約20年もの間、展覧会に絵を出しませんでした。
セザンヌは生まれ故郷のエクスに戻り、アトリエから見えるサント・ヴィクトワール山や周りの風景を繰り返し描きました。ヒゲを生やし汚れた洋服を着て杖をつきながら絵を描く場所を探して歩き回るセザンヌは町の人々から気味悪がられていました。
けれども、セザンヌをずっと見守っていたピサロは勿論のこと、ドガやルノワールやモネもセザンヌの才能に気付き、セザンヌをとても尊敬していました。若くて貧しい画家を励ましてくれた絵具屋のタンギー爺さんもセザンヌの絵を店に飾ってくれました。

写真は「サント・ヴィクトワール山とシャトーノワール」(1904~1906年)です。東京のブリヂストン美術館で観ることができます。
セザンヌ
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3.リンゴひとつで(絵:グラス、果物、ナイフのある静物)

40歳を過ぎた頃からセザンヌはリンゴやオレンジを描き始めます。
セザンヌは長い時間をかけて満足するまでリンゴやオレンジを書きました。一つの作品に何年もの時間を費やすこともありました。
あるときセザンヌはこう言ったそうです。
「今にりんごひとつでパリ中をあっと言わせてみせる」
セザンヌはモデルに「絶対に動かないように」などと難しい注文をするので皆、モデルになるのを嫌がったと言います。リンゴやオレンジならそういう心配はありませんね^^。

写真は「グラス、果物、ナイフのある静物」(1877~1889年頃)です。
この頃、やはり無名だったゴーギャンが買い求め、最後まで手放さなかったという作品です。
 セザンヌ
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4.遅すぎた成功(絵:赤いチョッキの少年)

しかし、世の中の人たちは相変わらずセザンヌの絵を認めようとしませんでした。
そんなセザンヌにやっと画家としての成功が訪れます。
きっかけは1895年、56歳のときにパリで開いた始めての個展でした。
「赤いチョッキの少年」をはじめとする150点あまりのセザンヌの絵は多くの人々の目を奪いました。
印象派の画家として出発したセザンヌでしたが、この頃にはもう、セザンヌの絵は印象派という枠を超えて、もっと大きな舞台へと羽ばたいていたのです。
これらの絵は若い画家たちの心を大きく揺さぶりました。
セザンヌ
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5.二十世紀美術の父(絵:水浴する3人の女たち)

若い画学生だったマティスが買ったのが写真の「水浴する3人の女たち」(1879~1882年)です。
40年近くこの絵を大切に持っていたマティスは「この絵はいつも私の心の支えになりました」と語っています。
1900年にはセザンヌの絵はパリの万国博覧会にも出品されるなど、フランス以外の国でも認められ始めます。
1906年には7年前から取り組んでいた「大水浴」を完成させます。この絵はピカソにも大きな影響を与え「アヴィニョンの娘たち」という絵を描くきっかけにもなっています。
ところが、この年の10月にセザンヌは肺炎で亡くなってしまいます。67歳でした。
お墓はセザンヌが繰り返し描いたサント・ヴィクトワール山の眺められる生まれ故郷のエクスに作られました。

写真の「水浴する3人の女たち」は、一瞬、抽象画と見間違えてしまいそうになります。
人も風景も物体として捉えて、色づけしていったように見えます。若い画家たちにインスピレーションを与え、「20世紀美術の父」とも呼ばれるセザンヌらしい絵です。
セザンヌ
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